実は私の一番尊敬するおじさん。お寺の住職なんです。自分が5年生の時に亡くなってしまったんですけどね。その時教わったお経は今でも唱えられますし、早朝に行われた座禅の話はとても興味深いものでした。
座禅って何かあると「ピシっ」っと叩かれますよね。あれ理由何だかきちんと説明できる人います?
背中が曲がってる? ピシっ! 少し動いた? ピシっ!!
当時は子供だったのでしょうね。おじさんだったせいもあって、キレました。
「ちゃんとやってるのになんで叩くの?」
「ピシっ!」和尚、笑って答えず・・・また叩かれます。
今、理由が見当たらないのだから、叩かれてるうちにだんだん過去にさかのぼって行きはじめます。
「あんときお父さんに嘘ついて耳鼻科ばっくれたからかな?」
「あの子のスカートめくったのまずかったかな?」
実はこれ、合理的な理屈を勝手に見つけ出そうとする「脳の機能」を利用した「禅の懺悔法」なんだそうです。そうなんです、脳は不合理を受け付けないのです。そしてこれは、
しあわせに生きるために知っておくといい重要な脳の働きなんです。例えば、運をよくするためにどう応用するかというと・・実際にやってみてください。
今日、あなたが出会う人に「ありがとう」と言ってみる
ぜーんぜんありがたく思ってなくてもいいです。面と向かって言わなくてもいいです。ポイントは声に出して「ありがとう」と言うことです。すると・・・
あなたの脳はだんだん落ち着かなくな~る
「なんでアイツにありがとうなんだ」と、脳はこの不合理を許しません。そして、理由もなく「ありがとう」と言ってるうちに、その人のどこかいいところ、感謝すべきところを探し始めます。
「そういえば、遠征の時、自分も疲れてるのに荷物たくさん持ってくれたよな」
というぐあいに。「ありがとう」と言ってしまった以上、その人のちょっとでもいいところを探さないと脳は落ち着かなくなって来るのです。つまりこういうことになりますね、
「ありがとう」そう思っていなくても口癖にしていると、意識が自然に人のよい面や小さいしあわせにフォーカスして感謝の気持ちが出てくる
しあわせな時間って、待つものではなく作るものですよ。
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